2011年3月11日の震災から今年で10年となりました。
弊社は震災時通常業務中でしたが、今までに経験したことのない揺れだったことを覚えています。
本社ビルの事務所では、書類や機材の一部が飛ばされ、重い金庫までも動いてしまいました。
当日はお通夜の準備中でしたので、スタッフが必死にご用意した祭壇を支え、
ご納棺前の故人様に覆いかぶさり、落下物から守っている者もいました。
交通機関のマヒにより、宗教者やご親戚の中には来られない方もいらして、お通夜が時間通りに開式できず、
ご会葬者様のご案内に苦慮したことを鮮明に覚えています。
翌日、緊急の会議が行われ、「私たちにできる事はないか」と皆で議論いたしました。
何ができて、何ができないのか。私たち自身判断のつかないことも多かったのですが、
その中で、下記のことが決まりました。
マンパワーも、資金も、ほかの企業様ほどにはできない。しかし、今後風化させないために
どんなに小さくてもやり続けよう。少なくとも会社が持続できるのであれば、最低10年は支援しよう。
皆様のご協力のおかげで、10年間何とか続けることが出来ました。
この10年を1つの区切りとし、活動と実績の報告をさせていただきます。
横浜セレモ株式会社では、復興に向けさまざまな取り組みを行っています。
会社としての活動内容と「チーム・セレモ 被災地復興プロジェクト PRAY f or JAPAN」としての
活動内容についてご紹介いたします。
災害の2か月後に現地に入り、そこから毎年、石巻雄勝町、女川町を中心に訪れております。様々な方と出会い、第2の故郷として思いを深めております。復興のパワーも凄まじく、 我々も元気をいただいております。
ご縁のあった「学校再生プロジェクト」から「再生・食・未来」をテーマとした研修施設「モリウミアス」へと生まれ変わり、世界中から子供たち、アーティスト、企業が集まっております。弊社社員も独自の研修プログラムを組んでいただき参加しております。
各ホールの最寄り駅や、イベント開催時等にスタッフが募金箱とのぼりを持ち、募金活動を行っております。地域の方とふれあい呼びかける事で人とのつながりが大切であることを再認識しました。
地元の飲食店様を中心にスタッフが各店舗を回り、のぼりと募金箱を設置いただいておあります。定期的に集金、報告をし地元の皆様のご協力をいただきながら支援しております。
被災で様々な物を失い、子供たちも非常にさみしい思いをしていると聞き、弊社スタッフが金沢区内の少年野球チームにお声がけし、野球道具を集め、現地の少年野球関係者にお届けしました。
震災を風化させない為、弊社ができる事の一つとして施設開放という意見が上がりました。基本的に葬儀を行わない友引の日に朝市を開催し、多くの方に支援を呼びかけました。全国でも初めての取り組みで数多くのメディアにも取り上げていただき、今では弊社の名物イベントとなりました。
弊社では葬儀の際、サービスの1つでエレクトーンの生演奏を行っております。その奏者により年2回「チャリティコンサート」を行っています。式場をコンサートホールに見立て、テーマを毎回変え皆様に耳を傾けていただいております。最後にお花やスタッフ手作りの品物をプレゼントし、お気持ちで義援金にご協力いただいております。
駐車場の広い冨岡ホールにて毎年行っています。子供たち向けのゲームはもちろん、焼きそば、焼き鳥、フランクフルト等、弊社スタッフと協力業者様が的屋となって提供しております。目玉は石巻から取り寄せたカキ、ホタテ、鮭等の海産物の焼き物です。今では子供たちを中心に600名様以上ご参加いただいております。
10年間、同意をいただいたスタッフより給与の一部を義援金として被災地に送っております。我々自身が関わることでより一層震災、復興への思いが強くなったと思います。
葬儀1件につき1万円、弊社がお客様の名前で被災地の生産者に送り、その生産者より後日、お客様に地元での生産物が届けられるという取り組みを行いました。商品はとても好評で、再度購入する方も多かったです。(現在は行っておりません)
弊社独自の会員制度「セレモクラブ」はゴールド¥2,000、シルバー¥100の入会金を頂いております。こちらをお客様に同意を得たのち「女川町役場」に義援金として送っております。(令和3年3月31日にて女川町役場の義援金受け取り窓口の閉鎖に伴い令和3年4月1日より 地域貢献のための義援金に変更しています。)
この10年、各地で様々な災害が起こりました。東日本大震災の支援はもちろん継続 しますが、スタッフからの協力金もあるので、支援対象をスタッフ会議で募りました。そこで熊本豪雨災害支援として益城町災害対策本部にも義援金を送っております。
こちらもスタッフからの声で「南阿蘇鉄道」「熊本城」の修復への支援も決まりました。 熊本城は復興支援金プロジェクトも行っておりましたので支援し、熊本城復興城主として登録していただきました。